「今日、及びこの時代に、人はどのように前向きな見通しを持つことができるか?あなたは至るところに、病や戦争や地球規模の災害や企業と政府の不正行為を見る。あまりにも多くの者が自分自身の時代を得ようとやっきになっている。また、前途に惑星Xの激変が差し迫っている状況で、前向きな心構えを持つ人はほとんどいない。」
大きな変化が人生に及ぼす影響は、人生をひっくり返す(upside down;上のものを下にする)ことである、としばしば言われる。これの意味するところは、上にあるもの(the up side)、すなわち楽観的あるいは楽天的な見通しが、下のもの(adowner)や憂鬱になることである。これが広まる傾向にあるのは、変化で損をした人達が大声で不平を言うからである。けれども、利益を得た人達は、彼らの前に開けた新しい展望を楽しむのに忙しすぎて論評できない。私達はここで、物質的な品物や、家庭が失ったものや、仕事ができないことや、蓄えが減少したりなくなって一時的に脇に置かれてきたものの価値について話していない。
人々は日常生活を逃れる方法を知らないし、これは突然に壊れるが、私達が話しているのは、人々を日常生活に保持している何千という憂鬱な行き詰まりについてである。もっとも明らかなことは、物質的な品物がそれらの所有者を縛り付ける束縛であり、社会が社会の一員に課す社会的な義務である。
婚姻は、親密な交際や、協調や、赤ん坊のよちよち歩きの音、といった喜びをもたらす。それはまた、うんざりさせる仕事を続ける責務と、社会的触れ合いを仕事場と身近な家族に限定するという要求を、ほとんど必然的にもたらす。
妻以外の女性と親密な友愛関係を持つ男、あるいは、別の男との交際を楽しむ妻には、きざしが考慮され、これは口をとがらせることや口げんかをもたらす。しかしながら、これは悪意がなく、和解をし、婚姻がもたらす全ての建設的なことがらを再開するために、これは中止される。そのとき、好戦的な相方は一方の者に対して全てであらねばならないという期待は、それ自体それだけで、憂鬱な圧力と責務である。私達はここで、単に男と女について話しているのではない。
これらの制限は、一般に生活に反応することのできる仲間達に、動かないことを課す。もしも、夫が土曜日の朝に町の向こう側で貧しい人々のための住宅建設を手助けすることを望めば、妻は夫にガレージの補修をしてほしいことを夫に思い出させる。建設集団には多くの独り者の女性がいて、貧しい人々に対する夫の関心を彼女達が分かち合うという事実は、隠された協議事項である。
もしも、妻が近隣の子供達に自分達の食物を育てる経験をさせるために園芸をすることを望めば、夫は妻にそれをすれば妻の手はざらざらとなり首が日焼けするなどと軽蔑的なことを言うかもしれない。妻はもはや、彼女が夫のショーケース、あるいは戦利品の妻であることに、適切に焦点を合わさない。制限が、すなわち権限を与えないことが、標準になる。
仕事は、それがキャリアや、プロや、商売や、お金を一時的に手に入れる何か簡単なものと称されようが、等しく、制限的なものである。収入レベルは、経験や技術が増せば上がる。それで、人は仕事を長く持てば持つ程多くを稼ぐ。そして、家族は、賃金を稼ぐ者が変化を望むという単なる理由で、収入が減ることに、同情しない。専門学校か大学か徒弟の期間や、年功序列協会や、その分野の人々との団体や、休暇時間に対し、そして、考慮に入れる仕事をした時間の故にもたらされた年金給付金に対し、時間とお金の代価があった。決まりきった暮らし方の外に踏み出すことは、これまでに得た全てを危険に置くので、もう一度、賃金を稼ぐ者は、制限され、そして、自分のこれからの何年、何十年もの展望を見ると、変化する可能性が全くないことを知る。
もしも、医師が、病院の請求書を支払うための資金を持つ人々に仕えるよりも、貧者に仕えることを願えば、医師は怒った病院株主に立ち向かわなければならない。そして、家や中古車を売却することやゴルフの会員権をなくすことを願わない配偶者との離婚に、もっともなりそうだ。もしも、配管工が、後に残るものはパイプとそれが環境に与える損害であることをはっきりと理解して、経営の不要な関係の仕事をしたいと願うならば、その配管工は配偶者に、収入の失われるときの間、感情面の支援だけでなく財政面の支援を頼む必要がある。そして、もう一度、社会的及び好戦的な期待が、変化に対する向かい風になる。
私達は次のように述べた。貧しい人やホームレスの人や精神的病にある人は、今度の変化のときにはより上手くやっていくだろう、なぜならば、彼らは所有物を失うことを嘆かず、そして、すでに人生のはしごの底辺にいたのが、突然に、他の人々に生存の仕方を助言する自身を見い出すから(と述べた)。私達は、今度の変化、ポールシフトは、人々を平等にする大きな出来事であると述べた。
以前は裕福な人達は街路に置かれ、絶望状態になり、以前はホームレスの人達は、ほっ建て小屋を建てるのに使えるより大きながらくたに囲まれる。私達が述べなかったことは、物質的な所有物を失うことのほかに、そして、ほとんどの人が年金と保険金と社会事業の形で手にしていると思われる安心感を抱かせる毛布を失うことのほかに、金持ちや金銭的に保証されている人々は、変化した社会環境から、より大きな「下のものが上がる状況」(a greater downside up)をもつだろうということである。もはや、人の生活を仕事場に実質的に限定する時間の中に強制的に置かない。もはや、監督者やボスに迎合するように強制されず、適正な態度を反映するためのおしゃべりを制限するように強制されない。もはや、定常状態を脅かす社会的ふれ合いを締め出すように強制されな
い、あるいは他人を自発的に助けたいという衝動を抑制するように強制されない。
それで、定常状態にいた以前の怠け者は、自分がより機敏であることを見い出し、制限がネットのように彼らを閉じ込めたために彼らが人生の初期に失っていたエネルギーを感じ、そして、多分、何十年で初めて、生きていることを実感する。
再生のためのこれらの機会は、ポールシフトがもたらす大きな変化の故に、全てのものにやって来る。家族が損なわれず生き延びたところ、家庭が損害を被りはしたが地震と強風を生き抜いたところ、そして、この大災害に対応することで指導者の地位を得た地域の政治的組織が損なわれずに残るところでさえ、環境の変化がある。
以前は、何が失われるべきかという重みは定常状態の側にあったのに、今は、定常状態はやむにやまれぬ緊急事態によって妨げられる。今外で雨にさらされている人々のために家を再建するのを手助けすること、医者が報酬を望まずに貧者に奉仕すること、環境や共同体の人々の健康を脅かす化学物質の流出と壊れた下水本管を処置すること、家庭や食料雑貨店の残骸から廃棄された貯蔵品が切れたときに食物の産地として菜園をつくること、これらのステップが最重要でないということを今は誰も議論できない。
人に頼り過ぎ、過度に要求し過ぎる配偶者、研かれることを要求する財産、りっぱだと思われることを要求する馬鹿げたボス、これら全ては無視される。生活はエネルギーの注入を受け取り、そして、世話をする心をもつ人の一部に及ぶ行動の必要性によってだけでなく、ほとんどの社会が表す実際上の結合を切断することによっても、生活は充電された。下のもの(a downside)が、突然に、上がる(up)!
------------------------------------------------------------------------------
訳--T.k